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Manuel Rui Costa マヌエル・ルイ・コスタ

ruicosta.jpg



フルネーム ルイ・マヌエル・セザール・コスタ
Rui Manuel Cesar Costa
ニックネーム マヌ
国籍 ポルトガル
生年月日 1972/3/29
出身地 リスボン
ポジション MF(OH)
身長 180cm
体重 74kg
代表デビュー 1993/3/31

所属クラブ
1990-91 フェフェ
1991-94 ベンフィカ
1994-01 フィオレンティーナ(イタリア)
2001- ミラン(イタリア)

主なタイトル
2002/03 UEFAチャンピオンズリーグ優勝

攻撃に関するあらゆるアイデアを持ち、それを実践できる天才プレーヤー。状況判断に優れ、ドリブル技術は世界有数、パスに至っては世界一との声も高い。
ポルトガルの2部リーグでプロとして活躍していた父の影響でボールを蹴り始める。その才能は早くから高く評価され、ポルトガルの英雄エウゼビオも舌を巻いたほど。1990年に3部リーグのファフェで本格的なキャリアをスタート。翌年には同国1部リーグのベンフィカに移籍し、すぐさまレギュラーに定着する。ベンフィカで3シーズンを過ごした後、フィオレンティーナに移籍。1シーズン目からすぐさま活躍し、既にフィオレンティーナに在籍していたガブリエル・バティストゥータとのコンビはセリエAでも最高のホットラインだった。1995/96シーズンには20年余りタイトルから遠ざかっていたチームにコパ・イタリア杯をもたらし、2000/01シーズンにも再び同杯を獲得している。
だが念願のスクデット制覇はならず、バティストゥータもローマに移籍した。更にチームの財政難もあって、いかに義理堅いルイ・コスタといえども移籍せざるを得なくなり、2001年にミランに新天地を求めた。ミランではまだ完全にフィットしているとは言えないが、同僚のアンドリュー・シェフチェンコに「世界最高のプレーヤー」と言わしめた能力は間違いなく世界最高峰のものであり、それに対してタイトルの獲得が余りにも少ないのは不運と言う他無い。
代表引退を明言して望んだEURO2004では、ワールドユースを連覇したフィーゴ、フェルナド・コウト等と共に、黄金世代を中心に臨んだ。緒戦でギリシャに1-2で敗れる波乱があったものの、続くロシア、スペインを撃破し、グループリーグを突破。波に乗るポルトガルはイングランド戦、スタメンにはルイ・コスタの名はなかった。前半早々にマイケル・オーウェンのゴールで先制を許してしまう。追う展開のポルトガルだがなかなか追いつくことができない。ルイ・コスタが登場したのは後半79分だった。後半83分にフィーゴに代えて投入したポスティガのゴールで追いつく。延長後半20分ルイ・コスタの素晴らしシュートがゴールを捕らえる。
逆転。雌雄決したかに思えたこの試合はその5分後更なるドラマを生み出す。イングランドMFフランク・ランパードの奇跡のような同点ゴールが決まる。
PK戦までもつれ込んだ熱戦はポルトガルが制した。
ruicosta4.jpg


準決勝オランダ戦はルイ・コスタはベンチを暖めたものの、ポルトガルは見事に決勝への駒を進めた。
決勝の相手は、緒戦でつまずいた相手、伏兵ギリシャ。
リスボン ルススタジアム 63000の大観衆が見守る中行われた決勝の大舞台。
しかし、結果はカリステアスの一撃によりポルトガルは涙を飲んだ。
若きエース、C・ロナウドは流れる涙を止めることはできなかった。
フィーゴは何度も首を横にふるばかり。ルイ・コスタはただ天を見つめるだけだった。こうしてルイ・コスタのポルトガル代表としてのキャリアは終わった。しかし彼のミランでの挑戦はこれからも続く。
finale-rui-costa-pleurs-i.jpg

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