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Zvonimir Boban ズボニミール・ボバン

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フルネーム ズボニミール・ボバン
Zvonimir Boban
ニックネーム ゾロ・ズボーネ
国籍 ユーゴスラビア,クロアチア
生年月日 1968/10/8
出身地 イモツキ
ポジション MF(OH)
身長 183cm
体重 79kg
代表デビュー 1990/12/22(通算51試合,12得点)

所属クラブ
1985-91 ディナモ・ザグレブ
1991-92 バリ(イタリア)
1992-01 ミラン(イタリア)
2001 セルタ(スペイン)
主なタイトル
1993/94 UEFAチャンピオンズカップ優勝

世界レベルの技術と共に最高のキャプテンシーを持つクロアチアの英雄。
研ぎ澄まされたパスセンス、的確な状況判断、献身的なディフェンス、
何をさせても常に世界最高と称するに値するプレーを披露するファンタジスタ。90年代クロアチア代表の象徴的存在であり偉大なキャプテンでもあった。
1985年にディナモ・ザグレブでキャリアをスタートさせその能力は年を追う事に開花し、18才の時にはキャプテンを任されるまでに成長する。
しかし、1990年に事件が起こる。
1990年5月13日、クロアチアとセルビアの代理戦争とも言えるディナモ・ザグレブvsレッドスター・ベオグラードの一戦は異様な雰囲気に包まれていた。案の定、両チームのサポーターは激突する。だが止めに入った警官隊のほとんどはセルビア人だった。ザグレブ・サポーターだけを抑圧した警官隊を見たボバンは、試合を忘れフェンスを飛び越えると警官隊に猛然と立ち向かう。その代償は9ヶ月の出場停止処分。それに伴いあと1ヶ月に迫ったワールドカップ出場(ユーゴ代表として)も絶望となる。イタリア・ワールドカップの出場権も失ってしまった。だが彼はこのことを全く後悔していないと言う。
それはボバンがクロアチアの英雄となった始まりである。
1991年、戦争で揺れる母国を後にしイタリアに渡る。するとミランでは栄光の時が待っていた。ロッソネロのユニフォームを身に纏ったボバンは、UEFAチャンピオンズカップ優勝と4度のスクデット制覇をミランにもたらした。
ボールを持ってドリブルを始めるフォームのエレガントな自然さは、誰に対 しても一目で強い印象を残す。ロングパスも蹴れれば、狭いゾーンをドリ ブル突破することもできる。チームメイトに送るアシストも、自らゴールに向 かうアクションも、常にクリーンでよどみがない。突然予想もできない方向 に向きを変えるその鋭いターンは、サッカーの技術マニュアルに載せるべき スムーズさだ。

クロアチア代表チームにおいても、その愛国心は精神的支柱ともなり、そして選手として最も成熟した状態で望んだ1998年のフランス・ワールドカップ。2勝1敗でグループリーグを勝ち抜くと、1回戦でルーマニア、準々決勝でドイツを破る大躍進を見せる。準決勝でフランスに敗れるものの、3位決定戦ではオランダを下しワールドカップ初出場で3位入賞という快挙をやってのける。この快挙はボバン無しでは考えられなかった事は言うまでも無い。
国の威信を賭けて戦った1998年ワールドカップでは初出場3位という好成績を記録する。
2001年、ボバンはユニフォームを脱ぐ事を決意する。彼は現役時代にこう言ったという。「私は100人の政治家に出来ない事が出来る。」
100人どころではない。彼はバルカン半島の全ての政治家が集まっても出来なかった事、戦争で疲弊したクロアチア人に再び誇りを抱かせる事に成功したのだ。

boban.jpg

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