Contents

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Comments

Post a Comment
管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

トラックバックURLはこちら
http://ykrr12.blog49.fc2.com/tb.php/20-6343a4ac

Ruud Gullit ルート・グーリット

gullit_milan.jpg

フルネーム ルディ・ジル・グーリット
Ridi Dil Gullit
ニックネーム ルート,黒いチューリップ
国籍 オランダ
生年月日 1962/9/1
出身地 アムステルダム
ポジション FW(CF),MF(OH),DF(CB)
身長 186cm
体重 83kg
代表デビュー 1981/9/1(通算64試合,17得点)
所属クラブ
1973-75 メーア・ボーイズ・アムステルダム
1975-79 DWSアムステルダム
1979-82 ハーレム
1982-85 フェイエノールト
1985-87 PSVアイントホーフェン
1987-93 ミラン(イタリア)
1993-94 サンプドリア(イタリア)
1994 ミラン(イタリア)
1994-95 サンプドリア(イタリア)
1995-97 チェルシー(イングランド)
主なタイトル
1988年 欧州選手権優勝
1988/89 UEFAチャンピオンズカップ優勝
1989/90 UEFAチャンピオンズカップ優勝
1990年 インターコンチネンタルカップ優勝
1987年 欧州年間最優秀選手(フランスフットボール誌)
1987年 世界年間最優秀選手(ワールドサッカー誌)
1989年 世界年間最優秀選手(ワールドサッカー誌)
高いヘディングに強力なシュート、圧倒的なスピードに素晴らしいパスセンス、その高い技術と身体能力でFW、MF、DFと全てのポジションを巧みにこなした。
また、その技術に加えドレッドヘアの風貌で常にピッチ上で存在感を放ち、長年に渡って世界最高の天才オールラウンダーとして君臨した。元オランダ代表。ピッチの外では蘭・独・仏・伊・英語の5ヶ国語を話す知性派としても知られる。
1962年9月1日、オランダにサッカーの革命児が誕生した。この子はルディと名づけられ、次第にサッカーにのめりこんでいくことになる。アムステルダムで、親友のフランク・ライカールトらとストリートサッカーに興じる姿をメーア・ボーイズの監督に見いだされたのが11歳の時だった。
スリナム人の父親とオランダ人の母親の間に生まれ、8歳の時、メールボーイズというサッカークラブに所属しサッカーを始める。
17歳の時にオランダの名門アヤックスのオファーを受けるが彼はそれを断りハーレムにてプロデビューを果たすと、その後フェイエノールトに移籍、83/84シーズンのリーグ制覇とカップ戦のダブルに大きな役割を果たしこの年のオランダ年間最優秀選手を受賞する。
その後もオランダ国内での彼の評判は高まり、85/86シーズンにはPSVに移籍。
加入したその年にいきなり8シーズン振りとなるリーグ優勝をチームにもたらすと、自身もリベロながら24得点という驚異的な記録を打ち立て、2度目のオランダ年間最優秀選手を受賞する。
翌シーズンにもリーグ優勝をもたらし再び22得点を記録するとその活躍はミランのベルルスコーニ会長の目にとまり、当時の移籍金最高額となる840万ドルでイタリアに渡る。
80年代当時はユベントスの黄金期でありミランは長い間優勝から遠ざかっていたがグーリットが加入した87/88シーズンにミランは9年ぶりにスクデットを獲得。
グーリットはこのシーズン中にバロンドールと世界年間最優秀選手賞を受賞している。
そしてこのスクデットを皮切りにミランは黄金期を築く事となりグーリットがミランに在籍した間にチームは3度のスクデット、そしてチャンピオンズカップ、欧州スーパーカップ、トヨタカップのトリプルを2年連続で成し遂げ、自身も88/89シーズンのチャンピオンズカップ決勝戦で2得点をあげると1989年には2度目となる世界年間最優秀選手賞を受賞した。グーリットはこの2度の栄冠を、当時投獄されていた黒人解放運動の中心人物、ネルソン・マンデラ氏に捧げている。
93/94シーズンにはサンプドリアに移籍。
ここでコッパイタリアを制覇する活躍を見せて、再びミランに呼び戻されるがベルルスコーニ会長の、「彼を控えで使う」と言う贅沢な計画を
グーリットのプライドは許さずすぐにサンプドリアに戻っている。
その後プレーの場をイングランドに求めたグーリットはチェルシーに移籍。
ここで選手と監督を兼任すると96/97シーズンにはFAカップを制覇し、グーリットは初めてイギリス人以外でFAカップを制した監督となった。

代表デビューは1981年9月1日、スイス戦。
キャプテンとして挑んだ1988年、オランダ初のビッグタイトルとなる欧州選手権優勝を果たす。
欧州選手権では、決勝ソビエト戦にて貴重な先制点をマーク。
チームは2-0で勝利し、オランダに初の国際タイトルをもたらした。
しかしワールドカップには恵まれず、1990年はベスト16に終わると1994年にはアドフォカート監督との確執により代表召集を拒否している。
代表通算記録66試合17得点。

1997年に現役を引退するとその後はチェルシーの監督に専念。
その後ニューカッスルの監督も経験している。
余談だが彼は生涯で3回の結婚を経験しており、最後に結婚した相手は
あのクライフの姪、エステル・クライフである。
また、オランダ国内ではレゲエ歌手としても人気を集め歌により黒人の権利獲得に努めるとオランダチャートでは1位になった事もある。

グーリットは歴代のスタープレーヤーの、良い所だけを持った素晴らしいサッカー選手に成長した。グーリットをサッカーの革命児と呼ぶ人は多い。ストライカーからリベロまで、ありとあらゆるポジションを見事にこなしてみせたからだ。サッカーの革命児のプレーは、今見ても新鮮で、美しい。ピッチに映える一輪のチューリップ。その姿はオランダの象徴だった。



0204.jpg

スポンサーサイト

Comments

Post a Comment
管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

トラックバックURLはこちら
http://ykrr12.blog49.fc2.com/tb.php/20-6343a4ac

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。