Contents

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Comments

Post a Comment
管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

トラックバックURLはこちら
http://ykrr12.blog49.fc2.com/tb.php/31-e0522c7d

Andrea Pirlo アンドレア・ピルロ

pirlo02.jpg

フルネーム アンドレア・ピルロ
Andrea Pirlo
ニックネーム ネクスト・バッジョ
国籍 イタリア
生年月日 1979/5/19
出身地 ブレシア
ポジション MF(OH,CH)
身長 177cm
体重 68kg
代表デビュー 2002/9/7vsAZE
シーズン 所属クラブ 試合数 得点数
1994/95 ブレシア 1 0
1995/96 ブレシア 0 0
1996/97 ブレシア 17 2
1997/98 ブレシア 29 4
1998/99 インテル 18 0
1999/00 レッジーナ 28 6
2000/01 インテル 4 0
ブレシア 10 0
2001/02 ミラン 18 2
2002/03 ミラン 27 9
2003/04 ミラン 32 6
2004/05 ミラン 30 4
2005/06 ミラン * *
主なタイトル
2002/03 UEFAチャンピオンズリーグ優勝

創造力に優れ、恐るべき展開力と状況判断能力を持ち類い稀なパスセンスで素晴らしい存在感を示すイタリア代表MFにして世界最高峰のレジスタ。FWへの縦のロングボールも素晴らしいが両サイドの動きも実によく見えており、フィールド全体を使ったゲームメークで次々と優位な状況を作り出す。
その技術は現代サッカーにおいて少なくなったファンタジスタと呼ぶに相応しく元イタリア代表スタープレーヤー、ジャンニ・リヴェラの再来とまで称されている。
本来トップ下のポジションにて真価を発揮するが、その天才的才能から
現在ボランチの位置でゲームメーカーとして君臨する。
また、PKのスペシャリストとしても名高い。

生まれながらのインテリスタであり当時インテルにて活躍したローター・マテウス、そしてロベルト・バッジョに憧れる幼少時代を過ごす。
その後地元ブレッシャのジュニアチームへ入団、12才にして将来を嘱望されるポテンシャルの高さを見せる。1995年、16才の誕生日を迎えた2日後の5月21日レッジーナ戦にてセリエAデビューを果たすが、このシーズン、チームはB降格を屈する。
翌シーズンは出場機会に恵まれず不本意な時期を過ごすが、腐る事なく練習に励みその結果翌96/97シーズンには17試合に出場、チームのA復帰に貢献する。
(1996年ヴィアレッジョ国際トーナメント優勝にも大きく貢献している。)
97/98シーズンには再びベンチを温める事も多かったが、監督が
フェラーリオに代わると同時に多くの出場機会を得るようになり
通算29試合4得点、その能力の高さを証明し1998年には憧れのクラブ、インテルへの入団が決まりイタリア代表のユースチームでもエースとして活躍。誰もが新時代のカンピオーネの誕生を信じて疑わなかった。
インテルでの加入シーズン、しかし、ピルロはSTの選手としてはあまりにも脆弱なフィジカルの持ち主だった。インテルのようなビッグクラブがそんな選手に満足な出場機会を与えるわけも無く、18試合に出場するもスタメン出場は3試合のみ、その才能を持て余す結果に終わる。しかし翌シーズン開幕直後に志願してレンタルされたレッジーナにて28試合6得点の活躍を見せA残留に大きく貢献、翌シーズン途中には再び出場機会を求めてブレッシャへレンタル移籍しここでもR・バッジョのサポート役、ボランチとして新境地を開く事に成功した。
2001年にはよりにもよってライバルチームのミランへと放出してしまう。だがロッソネロとの出会いがピルロを再生させた。移籍1シーズン目こそインテルにいた頃と同じような状況が続いたが、2002/03シーズンにカルロ・アンチェロッティの手によってCHのポジションに添えられると、今までの不出来が嘘のような目覚しい活躍を披露。ジェンナーロ・ガットゥーゾやクラレンス・セードルフといった優秀なサポート役を得、変幻自在にミランの攻撃陣をリードした。いつしかナイーブな面も消え失せPKキッカーを任せられるまでに信頼を集めるようになる。
このシーズンのチャンピオンズ・リーグ制覇に多大なる貢献をし世界屈指のレジスタとしての地位を確立したのである。

19才でUー21欧州選手権メンバーに選出され、予選9試合6得点の活躍で本大会出場に貢献、スロバキアで開催された本大会ではエースナンバー「10」を付けその才能を遺憾なく発揮し、優勝に大きな役割を果たした。
2年後の同大会では準決勝にてチェコに敗れたが、その技術の高さは
世界各国から賞賛された。
その後ミランでの活躍が認められ2004年欧州選手権予選初戦となる
2002年9月7日アゼルバイジャン戦にてフル代表デビューを飾った。代表レベルでも欠かせぬ存在となっているのは言うまでもない。

現在ではフィジカル面でも格段の進歩を見せ、ミドルシュートにも冴えを見せる選手へと成長。多少の遠回りはあったが、イタリアが誇る偉大なる才能がようやく本領を発揮するに至った。
イタリアではネクストバッジョ(バッジョを継ぐ者)と呼ばれているが、バッジョは、ピルロに自分を超える選手になって欲しいと望んでいる。

スポンサーサイト

Comments

Post a Comment
管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

トラックバックURLはこちら
http://ykrr12.blog49.fc2.com/tb.php/31-e0522c7d

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。