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Oliver Bierhoff オリバー・ビアホフ

Bierhoff24.jpg

フルネーム オリバー・ビアホフ
Oiver Bierhoff
ニックネーム ゴールデンボーイ,ジャーマンタワー
国籍 ドイツ
生年月日 1968/5/1
出身地 カールスルーエ
ポジション FW(CF)
身長 191cm
体重 90kg
代表デビュー 1996/2/21vsPOR(通算70試合,37得点)
シーズン 所属クラブ 試合数 得点数
1974-78 エッセナーSG - -
1978-85 シュバルツバイス・エッセン - -
1985/86 バイヤー・ユルディンゲン 0 0
1986/87 バイヤー・ユルディンゲン 19 3
1987/88 バイヤー・ユルディンゲン 12 1
1988/89 ハンブルガーSV 24 6
1989/90 ハンブルガーSV 10 0
VfLボルシア・メンヘングラッドバッハ 8 0
1990/91 SVザルツブルク 32 23
1991/92 インテル 0 0
アスコリ 17 2
1992/93 アスコリ 35 20
1993/94 アスコリ 32 17
1994/95 アスコリ 33 9
1995/96 ウディネーゼ 31 17
1996/97 ウディネーゼ 23 13
1997/98 ウディネーゼ 32 27
1998/99 ミラン 34 20
1999/00 ミラン 30 12
2000/01 ミラン 27 6
2001/02 ミラン 0 0
モナコ 18 5
2002/03 キエーボ・ベローナ 26 7
獲得タイトル
ドイツ代表
1996 欧州選手権優勝
ウディネーゼ
1997/98 イタリアリーグ得点王
ミラン
1998/99 イタリアリーグ優勝
モナコ
2001 フランススーパーカップ優勝

オリバー・ビアホフほど美しいヘディングシュートを放つ選手は見た事が無い。屈強な体躯を余すことなく活かした抜群のポジショニング、完璧なタイミングで飛び立ち長い滞空時間を誇るジャンプ、ボールの芯を確実に捉えるヘディング技術。ボールはビアホフの頭にヒットした瞬間、楕円形に形を変え矢のような速さでゴールネットに突き刺さる。1990年代随一の空中の覇者である。元ドイツ代表ストライカー。

1985年夏、バイヤー・ユルディンゲン・ジュニアチームに加入、最初のシーズンにいきなり30得点を記録、1986年にブンデスリーガにデビューを果たし今後の成長に期待の持てる新人として注目を集める。
しかし、フェルドカンプ監督の解任と同時に、ビアホフも居場所を失い
ハンブルガーSV、ボルシアMGと渡り歩くものの、その存在が重要される事はなく、1990年には隣国オーストリアに活躍の場を求めなければならないほどだった。しかしこの移籍が転機となる。ここでヴィーバッハ監督の信頼を得、チームの中心としてこのシーズン32試合、23得点を記録する大活躍を見せ得点王獲得、この活躍から翌シーズンには本人の憧れでもあったイタリアへ渡る事となる。イタリアのインテルへと移籍したがすぐさまアスコリへと放出され、しかも同クラブはセリエB降格の憂き目に遭ったが、ビアホフは着実に監督、チームメートの信頼を得、チームのエースストライカーとして奮迅。すると1995年にアルベルト・ザッケローニの手によってウディネーゼへと引き抜かれ、1995/96シーズンにはセリエAで17得点を挙げる活躍を見せた。
そして彼の運命を変えるビッグトーナメントが1996年にイングランドで行われる。ドイツ代表監督ベルティ・フォクツの夫人の提言もあり欧州選手権のメンバーに選ばれたビアホフは、途中出場の僅かな時間で一躍スターダムにのし上がった。決勝戦までは僅か2試合に途中出場し得点も挙げることができなかったが、決勝のチェコ戦で全てが一変する。1点リードされて迎えた後半24分、ついにビアホフがピッチに姿を現す。出場から僅か4分後に得意のヘディングシュートで1点を返し同点に追いつくと、延長戦ではユルゲン・クリンスマンからのパスを受け素早く反転、間髪入れずに左脚でシュートを放ちこれがゴールデンゴールとなった。この2得点でドイツを3度目の欧州王者に導くと、つい先ほどまで低迷するドイツ代表の控えFWでしかなかったビアホフの名は瞬く間に世界中に広まり、一躍欧州でも屈指のFWと目されるようになる。
1997/98シーズンにはリーグ戦で27得点を挙げる驚異的な活躍を見せセリエAの得点王に輝くと、1998年にミランがビアホフ獲得に動く。グランデミラン終焉後、低迷を続けていたミランだったが、ビアホフが加入した1998/99シーズンにはスクデットを奪回。彼自身も20得点を挙げる活躍でチームの勝利に大きく貢献した。その後モナコを経てキャリアの最後に再びセリエAへ復帰、自身現役最後の試合となる最終節ユベントス戦にてハットトリックを達成し有終の美を飾った。

1996年2月21日ポルトガル戦にて代表デビューを果たし
この年開催された欧州選手権の決勝にて2得点を記録し優勝に貢献、
その名前を世界に知らしめる事になる。
その後不動の地位を確立し1998年、2002年ワールド杯と2大会連続でワールド杯にも出場、自身最後の大会となった2002年ワールド杯ではスーパーサブとして5試合に出場し準優勝に貢献した後、代表を引退した。
代表通算70試合37得点。

プロのサッカー選手として活躍する側、ハーゲン大学に13年も籍を置き、現役生活も晩年となる2002年5月に経営学の学位を取得。現在はドイツ代表のマネージャー職に就き、将来的にはナイキ社のマーケティング部門での活躍が期待されている。

彼にはロナウドのようなスピード、得意技は無かった。バッジョやデルピエロの様な華麗な技術をもっているわけでもない。しかし確実にゴールを決める術と空中戦を制する高さをビアホフは持っていた。ビアホフに渡せば決めてくれる。誰もがそう感じる選手であった。90年代を沸かせた空中戦の支配者"ジャーマンタワー"オリバー・ビアホフ。彼も忘れがたい選手の1人である。







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