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Giuseppe Meazza ジュゼッペ・メアッツァ

giuseppemeazza.jpg

フルネーム ジュゼッペ・メアッツァ
Giuseppe Meazza
ニックネーム ペッピーノ
国籍 イタリア
生年月日 1910/8/23 - 1979/8/21
出身地 ミラノ
ポジション FW(CF,ST),MF(OH)
身長 169cm
体重 73kg
代表デビュー 1930/2/9(通算54試合,33得点)
所属クラブ
1924-40 インテル
1940-42 ミラン
1942-43 ユベントス
1944 バレーゼ
1945-46 アタランタ
1946-47 インテル
主なタイトル
1934年 ワールドカップ優勝
1938年 ワールドカップ優勝

サッカー界のオペラ座サンシーロ。サンシーロはジュゼッペ・メアッツァの別称も持っている。そしてその名の由来こそミラノの英雄ジュゼッペ・メアッツァに他ならない。
イタリア史上最高のストライカーの1人として見なされ、得点をするために生まれて来たプレーヤーと名高く、その偉大なる名前はミラノスタジアムの名称となり永遠に語り継がれている。

1910年、画家の息子としてミラノに生まれ幼くして父親を亡くし
ポルタ・ヴィットリアの牧場へ移り住む。
12才で村の友人を集めサッカーチーム「マエストリ・カンピオネージ」を作るとその名前は瞬く間に周辺に知られるようになる。
その後インテルの下部組織がディフェンダーを補充する話を聞き付け
セクションに参加、その卓越した技術は当時の下部組織監督ヴァイツ氏を魅了しすぐにチームへ招かれると、本来のポジションであるストライカーとしてジュニアのデビュー戦で2ゴールを挙げる活躍を見せた。
やがてトップチームへ引き上げられると、17才でデビュー、
当時エースとして活躍していたベルナルディーニの背番号9を譲り受け、以後エースストライカーとして驚異的なペースで得点を量産していく。
キーパーを誘い出してドリブルでかわしガラ空きのゴールへボールを流し込むというア・インヴァートと名付けられた得意技はやがて「メアッツァ式ゴール」と呼ばれるようになり世界中に知られるようになった。
1930年30得点、1936年25得点、1938年20得点と
3度の得点王に輝き、2度のスクデッド獲得にも貢献、38/39シーズンにはコパ・イタリアも制している。
ピークを過ぎてからライバルクラブ、ミランへ移籍し人々を驚かせ
その後ユベントス等を渡り歩き、キャリア最後はインテルにプレイヤーコーチとして復帰、17試合に出場し1947年6月29日サンシーロで迎えたボローニャ戦にて現役引退となった。

代表デビューは1930年2月9日スイス戦、19才の時。
19分間の出場ながら2得点を挙げ4ー2の勝利に貢献し鮮烈なデビューを飾る。
通算53試合に出場33得点を記録し(うち17試合でキャプテンを努めた。)。
この記録は30年以上も破られることはなかったが、今ではリーヴァ(35得点)に続き2位である。1934年のワールド杯では優勝に貢献し
欧州に初めてジュールリメ杯をもたらした。1938年大会では彼はキャプテンとして
アッズーリを率い4試合全てに出場、1ゴールを決めると共にイタリア連覇に貢献する。
また現在の欧州選手権に相当する30年、35年と2度の
インターナショナル・カップも手にしている。

1979年8月23日、自身の誕生日に68歳でその生涯を閉じると
彼の69歳の誕生日にミラノのスタジアムに彼の名前が付けられたのだった。
現在でもイタリア史上最高のプレーヤーと言われており、もはやその評価は揺るぎないものとなっている。


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