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偉大なファンタジスタ

僕とサッカーの出会いは、同時に僕が尊敬してやまないロベルト・バッジョとの出会いでもあった。
初めて彼の姿を見たのは90年W杯イタリア大会。
チェコスロバキア戦 77分にハーフエイライン付近からドリブルを始めたバッジョは、芸術的なドリブルでDFをかわし華麗なゴールを決めた。
大会ナンバーワンゴールといわれるほど素晴らしいゴールだった。

しかしこの大会のイタリアは準決勝で、マラドーナ率いるアルゼンチンにPK戦の末、4-3で敗れ、3位決定戦にまわる。
3位決定戦 相手はイングランド。この試合はイタリア大会得点王のスキラッチの活躍もあり、2-1で勝利しイタリアは3位で大会を終えた。

このイタリア大会のバッジョのゴールが僕をサッカーの世界にますます引き込んで行ったのです。
もう少しバッジョについて話しますね。

4年後のアメリカ大会に出場したバッジョは、背番号10を付け、イタリアのエースをして大会に臨んだ。
しかしグループGの緒戦 アイルランド戦 1-0でまさかの敗戦。74年大会ポーランド戦以来20年ぶりのグループリーグでの敗戦となった。
続く第二戦対ノルウェー戦で衝撃的な事件が起きる。
前半21分GKのパリュウカが一発退場。監督のサッキはなんとバッジョに交代を告げる。イタリア攻撃陣の生命線とも言えるバッジョがピッチから去る。さらに追い討ちをかけるように世界最高のリベロといわれた守備の要フランコ・バレージまでもが負傷退場。窮地に追い込まれたイタリアを救ったのは、もう一人のバッジョ、ディノ・バッジョのゴールだった。
この試合でバッジョはサッキ監督に対し「狂っている」と発言。
まぁ僕もこの交代は意味がわかりませんでしたけどね。

第3戦メキシコと1-1のドロー。グループリーグ3位となったイタリアは自力突破がなくなった。しかし別のグループでロシアがカメルーンに圧勝した為、ラッキールーザーとして、なんとか決勝トーナメント進出を果たす。



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決勝トーナメント一回戦  ナイジェリア戦
後半終了間際89分 イタリア0-1ナイジェリア
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もはや敗戦濃厚、万事休すのイタリアを救ったのはロベルト・バッジョだった。奇跡的な同点ゴール、延長101分には自らが得たPKをきっちり決め2ゴール。 
準々決勝スペイン戦で1ゴール
準決勝ブルガリア戦で2ゴールと調子を上げてきていたバッジョだが、後半70分についに足に限界がきて途中交代。イタリアは不安を抱えたまま決勝へと駒を進めた。

迎えた決勝戦相手は王国ブラジル。
バッジョは膝・アキレス腱の痛みとブルガリア戦での太ももの軽い肉離れという満身創痍の状態で決勝の舞台に立つ。
また、バレージも手術を乗り越えここに立つ。この試合のバレージの活躍は後に伝説となる。ブラジルの強力な攻撃陣を封じ続け、彼の120分間のプレーは本当に素晴らしいものだった。
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試合は延長でも決着がつかず史上初のPK戦へ
イタリアは、バレーシ゛、マッサーロと失敗し
バッジョは多大なプレッシャーの中、5人目としボールを蹴るが
ボールはゴールマウスを大きく外れ、その瞬間ブラジルの史上初の4度目の優勝が決まった。
バッジョはしばらく呆然とその場に立ち尽くした。
結果は準優勝しかしイタリアを決勝まで導いたのは他でもないバッジョだった。


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誰もが認めるファンタジスタ。しかしイタリア人監督達はその後のバッジョを冷遇した。
契約を延長しないユベントスからバッジョはA.Cミランへの移籍を決意する。しかしカペッロ監督の考えるシステムにより先発出場も少なくベンチにいる時間が多くなっていた。さらにはあのサッキ監督が就任。
ジュゼッペ・メアッツァでのUEFAチャンピオンズ・リーグ
グループ・リーグ第6戦で引き分け以上なら決勝トーナメント進出だったがローゼンボリに1-2でまさかの敗戦でグループ・リーグ敗退が決定する。
バッジョは先発出場し前半終了間際にゴール前のポストプレーでデュガリーの同点ゴールをアシストするがサッキ監督はバッジョを前半のみで交代させる。
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サッキ監督になりバッジョの出場回数もへり、ベンチやスタンドで彼の姿を見る事が多くなる。 また、PKのキッカーもバッジョからアルベルティーニへサッキ監督は変更してしまう。
バッジョは移籍も見当に入れたがインテルのモラッティ会長は1年前にバッジョに拒否された事を忘れておらず
「バッジョがネロアズーリのユニフォームを見る事はないだろう」とコメントした。
結局バッジョはイタリア国外も含めて移籍せず残留。
バッジョは「サッキ監督は私の練習をよく見てくれる調子がいいようだねと声もかけてくれるだが、試合には出してくれない」と話していた。
第26節 A.CミランVSユヴェントス戦 ( 1-6 ) で歴史的大敗をきっする。
バッジョはベンチ・スタートだったが後半4分にユヴェントスのユーゴヴッィチに3点目を取られるとミラニスタから「ロベルト・バッジョ」の大歓声がスタジアムにこだましバッジョの出場をサッキ監督に訴える。
この時、バッジョのいたたまれない表情をTVが捉える。
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後半15分に出場しコーナーキックを蹴りミラン唯一の得点のシモーネの
ダイレクト・ボレーのゴールをアシストする。

ナポリでの'98W杯欧州予選イタリアVSポーランド戦 ( 3-0 )
後半6分にゾラに代わって出場18分にディノ・バッジョからのパスを受け素晴らしいドリブルで相手DF・GKをかわしゴールチームメイトのディリーヴィオ・ラバネッリらから手荒い祝福を受ける。
バッジョ「私にとってアズーリに戻れた事が最大の歓びなんだそしてゴールまで決めることができた。 このゴールは私のこれまでの人生の集大成だこの日まで多くの時間が流れ悲しみに沈んだこともあった
しかし、これで全てが変わる」と。 続けて「A.Cミランを出る事は考えたくないが、もっと試合に出なければ」と答える
翌日のガゼッタ・デッロ・スポルト紙には「イタリアにバッジョ これぞ幸福!」
ラ・スタンパ紙「イタリアはパリへ素晴らしいバッジョとともに」との見出しがおどる。

バッジョはフランスW杯のため出場機会を求めて、ボローニャへと移籍。
ここでバッジョは素晴らしい活躍を見せる。自己最多の22ゴールを決め、ロナウド、ビアホフに続き得点ランキング3位に。

そして3度目のW杯へ向けバッジョの代表入りが決まった。このとき時の代表監督はマルディー二監督。
イタリア代表のキャプテン - パオロ・マルディーニはあるインタヴューで
「もし、あなたが生まれ変わるとしたら誰に生まれたいですか??」
との質問に
「バッジョです、人間として素晴らしいからです」と答えたという。

1998 フランスWorld Cup グループ・リーグ第1戦 イタリアvsチリ ( 2-2 )
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バッジョはデルピエーロ負傷のため18番をつけて先発出場。10分のヴィエリのゴールを絶妙なピンポイント・パスでアシストするがその後チリのサラスに2ゴールを決められ逆転される。残り時間5分、右サイドでボールをキープするバッジョ、どうする、ドリブル突破か中にクロスを入れるのか、答えはそのどちらでもなかった。ふわりと浮かせた中途半端なボールはチリDFの腕に当たり力なく落ちた。主審の笛がなる。ペナルティスポットを指差す主審、猛抗議のチリの選手を尻目に、ゆっくりとボールをセット。自ら得たPKを決め同点としイタリアを再びすくう 。

準々決勝 フランスVSイタリア ( 0-0 ・ PK4-3 )
0-0で進む緊迫した試合展開の中67分にデルピエーロに変わって出場。
延長戦で、1度決定的なチャンスがあったが決められずPK戦へ。
バッジョはイタリアの1番手としてゴールを決めるがアルベルティーニと、ディビアッジョが外して3大会連続でPK戦による敗退となる。
PKをはずしたディビアッジョはその場に泣き崩れたが、それを慰めるバッジョの姿はとても印象的だった。

その後バッジョはインテルへ移籍。
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インテルでは素晴らしい活躍をしたバッジョだが、リッピ監督就任に伴い、またもチームをおわれる事になる。

2000年9月14日ブレシア入団を発表

当時ブレシアの指揮を執っていたのはカルロ・マッツォーネである。マッツォーネはバッジョを戦術に縛り付けるようなことはせず、できるだけ彼を自由にプレーさせた。解き放たれたファンタジスタは全盛期のキレを取り戻し、ボールを意のままに操った。少し顔のしわが増え、体力が落ちたことを除けば、キャリアの終末のバッジョは昔となにも変わらなかった。相変わらず神々しく、独特の雰囲気を醸し、放たれるボールは美しかった。

バッジョ移籍確定時にはブレシアの背番号は既に確定しており10番はエスポジートのものだったが彼はバッジョに10番を譲る事を表明しイタリア・プロ・サッカー連盟も登録された背番号の変更を例外的に認めバッジョのブレシア10番は誕生した。

ブレシア・デビュー 
コッパ・イタリア対ユヴェントス戦でブレシア・デビュー
必勝のキャブテン・マークをまいて67分間プレーする試合は0-0で終了したがレッド・カードが5枚も出るという後味の悪いデビュー戦となってしまった。
しかし、バッジョにとってはインテル対パルマ戦のチャンピオンズ・リーグ出場権をかけた5月23日の試合から約4ヶ月ぶりとなる実戦だったが
高いパフォーマンスを見せ周囲を驚かせた。
採点でGiornale di Bresciaは、7.5点

あるサッカー関係者は語る「バッジョは特定のチームのシンボルではないイタリアの全てのサッカーファンのバンディエラ ( 旗手 ) である。
それは、彼のファンタジー溢れるプレーに人々が魅了されている事はもちろん一人の人間としての誠実さや同僚を批判せず辛らつな意見を吐かない態度ピッチ上でのフェアなプレースタイルが評価されている事も見逃してはいけない」
バッジョの2002年への必勝の旅は始まった !!

順調にみえたブレシアでの活躍、しかし怪我との戦いは終わらなかった。
コッパ・イタリア 準決勝 パルマ VS ブレシア戦
後半 14分、パルマ・ゴールエリア前でターンの途中に自ら転倒する。負傷のため担架で、そのまま退場。その後、怪我の重大さが次第に明らかになるり復帰までには、少なくとも 3ヶ月必要とされる。
イタリアでは、 Baggio - W杯絶望
状況によっては引退か ?? との報道が流れる事態になってしまった。
早期回復を目指し自身5度目の手術を受けるが、しかし、結果は左膝十字靭帯損傷で3ヶ月の重症だった。
そして...
「バッジョ は、カルチョを去ることを望む」
この、ニュースは直ちにイタリア国内はもとより世界中を駆け巡った。
これに対し、イタリア・サッカー界そしてバッジョの友人世界中のファンから、メッセージが送られた。
サッキ氏のコメント( 前イタリア代表監督 )
「不幸にも私は、彼の多くの事故に遭遇した。'94年のW杯アメリカ大会、私がリミニを監督した84年、そして今同じくこの最後の事故に彼がそれから取り戻されそれが、素晴らしいキャリアを持っているからたとえ、今後の選手生活がそれほど長くないであろうとしてもバッジョは、復帰しなければいけない。私は ロベルトに心からの敬意を抱いて持っている全ての愛情で彼のために祈る」

イタリア代表 トラパットーニ監督のコメント
「私は、非常にすまないと思った。私は常にバッジョと良い関係を持っていた。私は、彼が「フィールドに戻る力」をまもなく見いだすであろうということが確かであると思う。
「バッジョの非常に類稀なキャリア。この手術が彼を危険にさらさないことを非常に望む」

ユヴェントス リッピ監督
「私は、バッジョがピッチに戻ることを望む」
「私達は、ユヴェントスとインテルの両方の時代に共に良い関係ではなかった。バッジョは、自伝でひどく「 マルチェロ・リッピは、私を迫害した」と書いた。
今日、どんな不運の瞬間に、ビアンコネロ( ユヴェントス ) がすべての過去を忘れてそして深い情愛がとの考えを バッジョに向けるとしても
「私は、彼のために祈るもう1つのキャリアの不運な旅行がここで終わってはならない。

A.Cミラン & イタリア代表 - マルディーニのコメント
「私はロベルトに電話をしようとした.しかし様々な利用から話をする事ができなかった。私は、バッジョのために残念に思う。私はバッジョが、彼自身を引退させる意図を持っているとは信じてはいない。私は邪魔と不安の彼の心を理解する。私は彼が、プレーするために復帰すると信じ祈る」

2月7日再び、ボローニャで W杯出場を目指しリハビリを開始する。
4月21日
セリエA 第32節 ブレシア vs フィオレンティーナ戦で復帰
いきなり、2ゴールを決める。
左膝十字靭帯損傷で3ヶ月の重症と言われていたバッジョが、76日で復帰
「私は、自分自身に勝利した !! 」と宣言
このゴールを、親友で代理人の ヴィトリオ・ペトローネ氏と家族、そして全てのファンに捧げるとコメントしこれからも、情熱と希望を持ってプレーし続けると宣言する。
セリエA 第34節 ブレシア vs ボローニャ戦で
98日振りに、90分間プレー、後半28分に、PKを一旦パリューウカに止められるもはね返りを決め、セリエA残留へ向け決定的な役割を果たす。 3-0 で、勝利しセリエA残留を確定し、W杯へ向けて全てをやりきり、トラパットーニの決断を、希望を持って待つ。
ジョバンニ・トラパットーニ監督が、2002韓国・日本W杯
イタリア代表メンバー、23人を発表
そこに、 Roberto Baggio の名前はなかった・・。

03/04シーズン第25節パルマ戦にてセリエA通算200得点を達成、このシーズンを最後に惜しまれながら引退という選択をし、セリエA通算460試合、205得点の記録を残した。
セリエA史上5人目となる200ゴールを記録している。
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トラパットーニの粋な計らいにより2004年4月28日スペイン戦
をR・バッジョの引退試合とされ約5年振りにそのピッチに立った。
背番号10番を付け、後半からは初のキャプテンマークをまいて魅せたプレーは引退してしまう事が信じられない程ファンタジー溢れるものであった。
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ロベルト・バッジョのような選手は、これまでのサッカー史を紐解いてもただ1人として存在しなかった。これからも彼のような選手は現れないだろう。ドラマチックなキャリア、ピッチ上での類稀なインスピレーション、神秘に包まれた人間性。その全てが印象的だった。
2004年5月16日、ミラノ市サンシーロ。ついにお別れの時がやってくる。彼が4シーズンを過ごし、不遇の時を送ったスタジアムが現役最後の舞台となった。左腕に巻かれたキャプテンマークの「必勝」の文字。フランセリーノ・マツザレムへの見事なアシスト。2-4での敗戦。鳴り止まない歓声。惜別の拍手。微笑を浮かべる表情とは逆に愁いに満ちたバッジョの瞳。その全てが印象的だった。
80年代から現在に至まで、「ファンタジスタ」と言う言葉の代名詞的存在であり、その言葉はR・バッジョのためにあると言っても過言ではないだろう、イタリアの至宝。どんな時でもその姿がピッチにある限り、必ず奇跡を起こしてくれる・・、そう思わせる素晴らしい選手であり、私達の心に深く刻まれた記憶は、永遠に消える事はない。
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ファンタジスタ 時には最大の戦力となり、時には諸刃の剣となる。
一瞬の閃き、予想することのできないドリブル、時には味方すら欺いてしまうほどのパス、美しい弧を描くFK、ファンタジスタを見ることはサッカーを見る事の1つの醍醐味なのかもしれない。

僕の永遠のヒーロー ロベルト・バッジョ



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