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Alessandro Del Piero アレッサンドロ・デル・ピエロ

del_piero.jpg

フルネーム アレッサンドロ・デル・ピエロ
Alessandro Del Piero
ニックネーム アレックス,ピントリッキオ
国籍 イタリア
生年月日 1974/11/9
出身地 カネリアーノ
ポジション MF(OH),FW(ST)
身長 173cm
体重 73kg
代表デビュー 1995/3/25vsEST
シーズン 所属クラブ 試合数 得点数
1991/92 パドバ 4 0
1992/93 パドバ 10 1
1993/94 ユベントス 11 5
1994/95 ユベントス 29 8
1995/96 ユベントス 29 6
1996/97 ユベントス 22 8
1997/98 ユベントス 32 21
1998/99 ユベントス 8 2
1999/00 ユベントス 34 9
2000/01 ユベントス 25 9
2001/02 ユベントス 32 16
2002/03 ユベントス 24 16
2003/04 ユベントス 22 8
2004/05 ユベントス 30 14
2005/06 ユベントス * *
主なタイトル
1995/96 UEFAチャンピオンズリーグ優勝
1996 インターコンチネンタルカップ優勝

才能豊かな繊細かつ華麗なテクニックは見る者を魅了し、
かつてプラティニやバッジョがユベントス時代に付けた背番号「10番」を若くして受け継ぎ、今やイタリア代表の主役とも言える存在。
「デルピエロゾーン」とまで言われる得意のシュートコースを持ち、
左サイドから中央に切れ込んで振り抜かれる右足は抜群の決定力を誇る。

91/92シーズン、セリエBパドバにてキャリアをスタートさせ
その非凡な才能を買われて1993年名門ユベントスへ。
94/95シーズン、R・バッジョの故障によって出場機会を増やし
その能力を発揮、スクデット獲得に大きく貢献すると同時に
その評価も急激に上昇する。(この年の欧州年間優秀賞4位であった。)1995年、ユベントスはアズーリのエース、ロベルト・バッジョをミランへと放出した。同じポジションのデル・ピエロをエースと認めたからだった。そしてデル・ピエロはエースに相応しい活躍を見せる。1995/96シーズンにはバッジョも成し得なかったUEFAチャンピオンズリーグ優勝をユベントスにもたらし、自身もグループリーグで5試合連続ゴールを挙げるなど、攻撃の中心として活躍した。
1996年トヨタカップでも来日し決勝点を記録、MVPにも選出されている。
96/97シーズンよりスクデット2連覇を達成、97/98シーズンには自身最高の21得点を記録する。
しかし、天才にもスランプは訪れる。1998年ワールドカップでは主役をクリスチャン・ビエリに譲り、ユベントスでも良い所が無かった。その評価を落とす事もあったが彼ほど「華のある選手」と言う言葉が似合う選手はなくジダンのいなくなった01/02シーズンには16得点を挙げる活躍を見せ、最終節の逆転スクデット獲得に貢献、翌シーズンにも16得点を挙げてスクデット連覇に大きく貢献している。
2000年欧州選手権で若干の復調を見せるも、まだまだ本調子では無かったが、2002年ワールドカップ欧州予選で完全復調。フィリッポ・インザーギの7ゴールに次ぐ5ゴールを挙げ、再びアズーリのエースに返り咲いた。

代表デビューは1995年3月25日エストニア戦。
1998年、2002年ワールド杯と出場を果たし、
2002年ワールド杯予選リーグでは、第3戦のメキシコ戦にて途中出場から
劇的な同点弾を記録し、予選敗退の危機にあったチームを救った。

体格には恵まれないが、技術の高さ、一瞬の閃きを武器に多種多様なゴールを演出。見る者を魅了する優雅なプレースタイルは、イタリアの画家ピントリッキオのタッチになぞらえられる。現在、世界で最も魅力的なプレーヤーの1人であることは周知の事実である。




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