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Giancarlo ANTOGNONI ジャンカルロ・アントニョーニ

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フルネーム ジャンカルロ・アントニョーニ
国籍 イタリア
生年月日 1954年4月1日
出身地 マルチアーノ
ポジション MF
身長・体重 179cm・73kg
個人タイトル なし
ワールドカップ1978年4位
       1982年優勝

所属クラブ
1970-72 アスティマコビ
1972-87 フィオレンティーナ
1987-89 ローザンヌ(スイス)

70年代から80年代に15年間に渡ってフィオレンティーナの中盤に君臨、抜群のゲームメイクとオールラウンドの才能を併せ持つ典型的なレジスタ。
近年、フィオレンティーナの英雄と言えばバティストゥータの名が挙がるかもしれないがフィオレンティーナのオールドファンは、このアントニョーニの名を挙げることだろう。

1954年4月1日ペルージャ近郊のマルチアーノで生まれる。
彼がキャリアをスタートさせたのはトリノ郊外のセリエDチーム、アスティマコビ。
彼はここで16歳の誕生日にデビューを飾ると、優雅なタッチ、若々しいパワー、そしてオールラウンドの才能を遺憾なく発揮し、人々に強烈な印象を与えると、1971年には若手選手を集めるアッズーリトレーニングセンターにも呼ばれその才能と技術をさらに高める。
そんな彼が当時のフィオレンティーナコーチ、リードホルムの目にとまったのは極自然なことであった。彼の才能に魅せられたリードホルムは
他のビッククラブとの獲得競争に勝ちクラブ史上最高額となる移籍金で
フィオレンティーナに連れて来る事に成功する。

68/69シーズンのスクデットより、低迷していたクラブは当時若返りを図っており、弱冠17歳だったアントニョーニはすぐにトップチームに起用される。
その後15年にわたってフィオレンティーナの中盤を指揮すると74/75シーズンには彼にとって唯一のタイトルとなるコッパイタリア制覇を果たす。
当時最強を誇ったユベントス等、数々の強豪クラブの勧誘にも首を縦に振らずそのキャリアのほとんどをフィオレンティーナに捧げ、自身は341試合61得点を記録、そのゴール数はバティストゥータらに続きフィオレンティーナ歴代5位の記録であった。

代表デビューは1974年11月20日オランダ戦。
1978年ワールド杯にて5試合に出場しベスト4進出に貢献すると
1982年のワールドカップではチームを決勝まで導き優勝の原動力となった。
しかし準決勝ポーランド戦にて負った足首の怪我から決勝の舞台に立つ事は叶わなかった。

キャリアの終盤の1987年にスイスのローザンヌからオファーを受ける。
それから彼の引退までローザンヌは多くの新しいファンを得ることとなった。
フィオレンティーナの多くのサポーターがスイスまで彼見たさに足を運んだのである。彼はスイスで2シーズンプレーをし現役を引退した。

現役引退後、彼はチャリティーマッチに出場するためにフィレンツェの町に戻りそこで彼は大勢のファンに向かってスピーチを行っている。
「私がもしローマやユーベに行っていたなら、恐らく3つか4つのタイトル、そしてチャンピオンズカップでさえ手に入れることが出来たのかも知れない。しかし、私を愛してくれる4万人ものファンと別れる事は私には出来なかった。私にとって皆さんの愛が最も大切なものであり、これが私が15年間、フィレンツェの町を離れることを決して考え無かった理由なのです。」
フィレンツェとフィオレンティーナを愛した男のスピーチを聞いた観衆の割れんばかりの拍手と歓声は、その後5分以上も鳴り止む事は無かった・・・・・。フィレンツェの心の中に今尚記憶される彼は、数々のタイトルとは無縁であってもそれ以上の財産を手中にしていたのは言うまでもないだろう。

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